Hinagiku Hatを編んでいる
ベスト完成後、間髪入れずに編み始めていた「Hinagiku Hat」。小物なんだから、あっという間に編み上げちまって、先のベストと一緒に水通し→完成だぜ! …というつもりでいたが、とりかかってからもう4日めだ。
デイジーステッチというこの模様編みでは、頻繁にk3 tog(3目一度)をするのだが、それがどうもうまくできない。やはり手がきついからなのか、それともこんなもんなのか、ギッチギチである。ちっともすいすい編めずに、かといって勢いに乗り「がしがし」「わしわし」編んでいくという感じでもなく、1目1目がえいやーえいやーという調子で非常に時間がかかっている。そして肩もこっている。
それと、編地のふわふわ度が予想より低いのもガッカリポイントだ。やはりきつく編み過ぎなんだろうなあ。完成写真を拝見すると、皆さんふかふかと暖かそうにかぶっていて、こんな帽子使いたい!と張り切って編み始めたはずなのになあ。
まあこれは糸選びを誤ったのもあるだろうし、仕上げの洗いでどれだけ変わるか楽しみでもあるし。色と質感は気に入っているので良しとしようじゃないの。
逆に、我ながら模様がどうも引きつっていると思ってた点は、他の作品でも意外とこんなもんだったので安心した。編み始める前の印象では、小さな小花模様一つ一つが浮き立つように見えてそれがとてもかわいくて、なのにわたしの編地は、なんつーかこう右上から左下へナナメのラインがすごく目立つような気がしませんか。
もしかして自分は編み方を間違えていやしないか?と何度も何度も確認してしまっていた。どうせ確認するのなら、編み方説明書だけではなく、皆さんの作品集も見てみればよかったのですね。一息ブレイクするという意味でも、ときどきそういう時間を取るのは重要なことだろう。
もう「オーケェイ、ヤァルノー」は聞けないのか
ケータハム、ヴィタリー・ペトロフを起用!トゥルーリがシート喪失
ヤルノ・トゥルーリ 「ケータハムの決断は理解している」
ヤルノ・トゥルーリがケータハムF1チームを去ることになった。
今季のヤルノの去就はずっと正式発表されておらず、つい数日前に「残留確定か?」というニュースがあったばかりだ。そして恐らくこのままヤルノはF1界を離れてしまうのだろう。ニック、ハイメ、バリチェロ、わたしが好きだったドライバーが続々といなくなっていくのがとても淋しい。
ヤルノは昨年の日本GP前に「日本に向かうのは少し恐い」という発言で物議を醸した。しかし、日本に来るのを誰よりも楽しみにしていたのも、また、ヤルノだったと思う。
誰もが内心放射能を恐がっていたであろう中、それをはっきりと言葉にしたのはヤルノだけだった。先述の発言ばかりが取り上げられ、「それでも、日本を応援したい」 と言ってくれたことはあまり報道されず、ヤルノは大きく誤解されてしまったと思う。
ヤルノは、東日本大震災に対して個人で支援募金を立ち上げてくれたんだぜ。わたしが知らないだけかもしれないが、こんなドライバーは他にいない。
ヤルノ、君がいなくて淋しいよ。いつかサインをもらいたくて、旧ロータスの白いキャップを買ったんだよ。わたしは今年もそれをかぶって鈴鹿に行くよ。
120218追記
ヤルノ・トゥルーリ 「ペトロフの財政的貢献がチームに将来をもらたす」 【 F1-Gate.com 】(「もらたす」て)
ヤルノ・トゥルーリは、F1から離れることになったが、今後もレースを続ける予定だと述べた。
「スイスにワイン製造会社とホテルを所有しているので、かなり忙しいけど、僕の仕事はレーシングドライバーだし、それが僕が続けていくことだ。F1であっても、そうでなくてもね」
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「鶴瓶の家族に乾杯」に於ける栗山千明の美しさについて
おとといの家族に乾杯を見ていて、栗山千明はとても礼儀正しくまた無邪気に明るくかわいらしかった。通常のゲストや鶴瓶が「家族に乾杯なんですけど~、どうも~」とか言いながら無造作に一市民の生活に侵入していくところを、栗山千明は「あの、NHKの、鶴瓶の家族に乾杯という番組でこの街を訪れさせていただいております、栗山千明と言います、どうぞよろしく、ところで今ちょっとお時間よろしいですか? お話させていただいてもよろしいでしょうか?」と。
なんて美しいんだ。
みんなが目を奪われたあの鮮烈なキルビルでのドSっぷりや、2chでよく見る「千明様にいたぶられたい」という例のネタ、我々はあまりにもそのイメージに囚われ過ぎていなかったかと。猛省したのです。
しかし前述の番組内で「タコが食べたい、できれば刺しで」などといかにも酒豪っぽい発言をしていたのは事実だ。そしてあの美貌はあの吊り目の魅力に起因することも恐らく真実だ。ということは千明様は、やはり、見た目違わず豪傑且つ冷徹な恐ろし女性なのだろうか。
性格が表情を作るのか、表情が性格を作るのか。それともその表情もまた、彼女の単なる特徴であって、そういうイメージを作り売り出すための持ちネタの一つに過ぎないのか。というようなことを考えた。